【予告編集】大重潤一郎監督作品
『黒 神』処女作 1970
『光りの島』1995
『風の島』1996
『縄 文』2000
『原郷ニライカナイへ―比嘉康雄の魂―』2000
『ビッグマウンテンへの道』2001
『久高オデッセイ第一部 結章』2006
『久高オデッセイ第二部 生章』2009
『久高オデッセイ第三部 風章』2015
沖縄テレビ・報道特集15/11/26
大重潤一郎監督遺作『久高オデッセイ』
日本の宗教学への影響
大重潤一郎という「ドキュメンタリー映画の奇才」の映画人生を俯瞰することで、彼の生きざまが作品の思想的な系譜に反映されていったことがわかろう。その遍歴を踏まえれば、大重潤一郎という存在は、現代にあって野生の息吹そのままに生きている自然人であり、だからこそ、自然の繊細さ・美しさ・力強さを描くことにかけては、類稀なる才能の持ち主であると言えまいか。その影響は、宗教学や文化人類学などの学術界にも大きな影響を与え始めている。例えば、宗教学者の鎌田東二は、大重を「気配の魔術師」と呼び、人類の古層を感覚的に捉えた作品群を評価している。また、宗教学の碩学である島薗進氏が中心となって、第19回国際宗教学・宗教史会議において、大重作品の上映に協力し、日本人の精神史を振り返る上での重要性を示唆している。日本国内で有数の宗教紙「中外日報」に取り上げられるなど、その注目度もカルト的に高まっている。
重要なのは、見えない気配や精神性というテーマを扱いつつも、宗教関係者やスピリチュアルに関心のある人々だけでなく、宗教的な事象に関心のないオーディエンスからの支持が根強いことである。それは、現代人に神話的モチーフを呼び起こさせ、「生きるよすが」のための哲学的映像として機能している証であると言えまいか。大重自身、人間の精神的活動について触れる際に、「宗教的な営み」と「日常信仰的な営み」を区別して考え、ドキュメンタリー映画に込める思想性を普遍的なものに昇華しようとしている。つまり、人間本来の文化的な営みとしての「日常信仰」や「自然信仰」は、自然と人が共死共生する環境においては、自然に対して「感謝」や「祈り」を重んじる人々の姿があるのは当然だからである。大重の眼差しは、自然の流れに身をまかせる自身の映画人生を反映するかのように、人間が自然に必死に身をまかせながら生きぬく様相に向けられていると言えまいか。